三者三様のチケット≪十月九日≫ ―壱―土曜日で、銀行が閉まっているという事に気づき、闇屋を探す事にした。 今日から、朝食をぬく事にしよう。 日本に居た時から、ずっと一日二食を通してきたのだけど、この旅は体力を使うのだろう、旅に出てから一日三食の習慣がついてしまっている。 近くの毛皮屋へ入る。 両替を頼む。 1$≒16.5TL 銀行より、少し良いレートで、30$ばかりを両替する事にした。 30$≒495TL≒11,140円 両替を済ませた後、グンゴー・ホテルで新保君を暫く待つが、なかなか姿を見せない。 政雄と二人で、バス・ガレージまで、バス・チケットを購入する為に行動を起こした。 Bus、NO92に乗り込む。 車掌が、後部扉の近くに座っていて、我々がバスに乗り込むと、すぐ切符を切ってくれた。 距離によって、料金が違うのだろう。 いろんな種類の切符を手に持っていた。 ガレージの手前で下車。 こ交差点は、イスタンブールに初めて到着して、グンゴー・ホテルが何処にあるのかも知らず、不安そうにトボトボと歩いていた、なつかしの場所である。 トプカピ・ガレージに入ると、大きな看板が処せましと建物に掛けられているのが見える。 色とりどりの大きな看板だ。 見ても、どの看板がバス会社の看板なのか、まるで分らない。 何処でも良いのだ。 何処のバス会社でも、同じなのだから。 建物に近づくと、早速客引きが近づいてきた。 広場に半円を描くようにして、オフィスが並んでいて、中央にあるオフィスに入った。 事務所の中は実に簡素で、チケットを扱うカウンターと、少しばかりのイスが並べられているだけだ。 待合室を通り抜け、突き当りのドアを開けると、バス・ステーションがあって、バスはオフィスに横付けされているようだ。 早速、十月十一日分の、イスタンブール~Izmir間のチケットを購入した。 受付「朝、九時スタートだ。8時半までに、このガレージまで来い!」 朝がきつい。 Istanbul~Izmir間、実に十二時間のバスの旅なのだ。 朝出れば、夜Izmirに到着するはずだ。 地中海の東を、北から南へとトルコを縦断するのだ。 素晴らしい景色が広がっているに違いない。 この時は、淡い期待で膨らんでいた。 この旅始まって以来と言う地獄が待っているとは、この時はまだ知る由もなかった。 政雄は、Istanbulを西に直接、ギリシャに入るという。 国境の町”イプサラ”までのチケットを、別のオフィスで購入していた。 25TL≒560円 バス・ステーションの周りには、露店なども数多く出店していて、かなりの賑わいを見せている。 新保君は、もうすでにアテネまでのチケットを購入済みとかで、ここからダイレクトでゴールであるアテネに向かうつもりなのだ。 Istanbulで合流した3人。 三者三様、別のルートでアテネを目指す事となった。 これは後で聞いた話ではあるが、政雄と新保は国境で再会する事になるという。 それはこうだ。 * ”国境からヒッチハイクをしようと、イプサラでバスを降りた政雄が歩いている処へ、新保君を乗せたアテネ行きのダイレクト・バスが通りかかったのだという。政雄が歩いている姿を、バスの中の新保君が見つけて、「僕、降ります!」ととっさに車掌に告げていたというのだ。本文を忘れていた新保君は、歩いている政雄を見つけて本文を思い出したのだ。新保君は、政雄と一緒にヒッチハイクをやる事にしたのだ。 バスを途中下車した彼らには、過酷なことが待ち受けていた。四日間で進んだ距離は200キロに過ぎなかったというのだ。その間、耕運機で一日三キロしか進まなかったり、雨の夜峠をトボトボと歩いたり、峠で野宿をしたり、それは散々だったそうです。彼らは、我が連盟が出版した本の中に書かれてあった「ギリシャからは、ヒッチがし易いので、是非やるべし!」と言う文章を書いた人を、本気で恨んだそうです。 あまりにもヒッチが出来ず、時間がかかり過ぎるので、テサロニキから大金をはたいて、アテネまで飛行機で飛ぶ事にしたというのだ。” この後、陸路をヒッチで向かった仲間達は皆、全てこのような数奇な運命を辿る事になるのだ。 俺もその中の一人である事に、間違いはない。 六年前のガイド(第十回大会、全日本ヒッチハイク競技大会)しか持たない我々は、このように話とは随分と違う体験をする事になったのだ。 この旅に出る前は、何度となく開いたものの、あまりにも酷い体験が書かれていて、不安に駆られるばかりなので、それ以来目も通さずバッグの奥深くに仕舞い込んだままだった。 そんな運命が待っているとも知らず、政雄君と新保君の二人は、最後のヒッチハイクだと言って感激し、期待に胸膨らませているようなのだ。 * グンゴー・ホテルのロビーへ戻ってからは、政雄達を引き連れてブッティング・ショップへ行くことにした。 昼食を取った後、バザールで見つけていた、皮のバッグを120TL(≒2700円)で購入。 170TL(≒3825円)の値札がついていたのだが・・・・。 その他、小物入れを含むと、US10$の出費となってしまった。 なかなか、思うようには負けてくれない。 値段があって、値段がないようなものだから・・・、欲しいと思ったら、どうしようもない。 購入した物をホテルに置いてまた、街へ出かける事にした。 ガラタ橋の袂で海に浮かぶ船でフライにした魚を食する。 今日はこのガラタ橋を渡ることにしよう。 坂の多い街だ。 俺 「この辺に、高級娼婦街があるはずなんだがナー!」 辺りを見渡すが、それらしい女が立っているという様子もない。 もちろん今は昼間なのだが・・・・。 石畳で出来た、真っ直ぐな坂道を登っていくと、正面にイスタンブールで一番高い建築物と思われる、タワーが空に向かって延びている。 新保君の話では、このタワーの9階で有名な「ベリーダンス(臍踊り)」が見られるらしい。 昼間なのでやっていないだろうと思いながらも、登ってみる事にした。 何段も階段を上ると、受付があった。 有料で、一人5TL(≒112円)。 エレベーターで七階まで、そこからは回り階段を自分の足で、8階・・・9階へと上る。 途中、喫茶室やレストランがあるが、高そうだ。 展望室なんてのはなくて、レストランにあるベランダから、イスタンブールの街を360度眺望できるようになっている。 さぞ夜景は奇麗だろうに。 ここからは、アジア側のイスタンブール、そして海の景色が落日に輝き美しい。 まさに荘厳な美しさだ。 急斜面にひしめき合って建ち並ぶ石造りの家々。 その間を縫うようにして流れる青く輝く川と海・・・そして、見上げるような橋。 川には、大小の船が白い軌跡を残して、縦横に滑っていく。 目の前に、今まさに広がっているヨーロッパとアジアの接点を実感している。 * タワーを後にして、子供達が遊ぶ石畳の路地を抜けて、ガラタ橋まで戻ってきた。 海には小船が、波に翻弄されている。 そんな小船の中で、漁師が取って来たばかりの魚を両手に持って、威勢良く声を張り上げている。 その勇ましい声に、足を止めた婦人達が今夜の夕食にとお金を差し出す。 波に揺られながら、漁師とご婦人達の商談が続いている。 そんな横で、釣りをしている子供達は、落日を忘れてしまっているようだ。 せわしなく人の波が、橋を往来していく。 モスクの丸いドームが夕日に輝いている。 もう日が沈もうとしている。 イスタンブールの町に灯が灯りだすのも、この頃からだ。 俺 「おっさん!フライ、一つ頂戴!」 揚げた手の魚のフライを5TL(≒112円)で買った。 ここへ来ると、これを食べない訳にはいかないようだ。 明日も明後日も、我々がイスタンブールを去った後も、相変わらず大きな丸い鉄板の中で、揚げられている魚の”ジュ―!ジュジュ―!”と言う音がいつまでも続いている事だろう。 粋な食べ物。 ここには、なくてはならない食材なのでしょう。 後一週間でゴールであるアテネに到着するでしょう。 つかの間の安らぎなのです。 夜の帳が今、このガラタ橋の上に静かに下りようとしている。 夜はこれから。 そう、これからなんです。 |